午前中はシーケンスデータの予備解析の相談。午後は学生の論文の手直しと、胃内容論文の改訂と、来週のセミナーの準備。
自分が書いた論文を誰かに見てもらうとき、相手が全身全霊魂をを込めて自分の原稿を見てくれるとは限りません。
1.他人の原稿を批判するのを躊躇しているかもしれません。教授の書いた文章に「意味不明」、「面白くない」なんて言いにくい。また、分野が違うせいで理解できない内容でも、「専門家には通じるんだろう」と考えてしまうかもしれません。
2.非ネイティブの人の英語に非ネイティブの人が満足することはそう多くありません。「まぁ意味は通じるかな」、「良い表現がすぐには思いつかない」、「英文校閲で何とかなる」。そんな感じで、悪い文章と感じても放置されるかもしれません。
3.内容についてであれ、英語についてであれ、著者に任せると考えるかもしれません。コメンテーターの役を果たしていないのかもしれませが、深刻な問題がなければそのまま投稿させて、レフリーにズタボロにさせて、学習の機会を与えたいという教育方針かもしれません。私の恩師はたぶんこのパタン(そう信じたい)。
4.忙しくて読んでる暇がない、待たせるのも悪いから、ざっとメインの結論だけ見て返す。詳細については他のコメンテーターや著者が良い意見をくれるでしょう。
色んな理由があるでしょうが、原稿を見てもらったとして、その結果の解釈には注意が必要です。ノーコメントは「問題なし」という意味ではありません。また、複数の人に原稿を見てもらって、ある人がコメントをして、別の人がノーコメントだったら、それは意見の衝突ではなく、多くの場合、要修正です。そして、必ずしも言われた通りに修正する必要もありません。なぜなら、コメンテーターは全身全霊で手直しをしているわけではないから。ただ、何らかの対処をしないといけないことは認識する必要があります。最終的には自身の判断です。
もっと厳しめにコメントしてほしいと思う時があります。でも、コメントをするというのは非常に労力のかかる作業です。共著者であっても、なかなか本気でやってくれる人は少ないのではないでしょうか。本気でやるとしたら、改善方法を示す必要がありますので、問題点を指摘するだけの査読作業よりも大変です。
コメントを引き受けてくれる人には感謝をします。一方で、どうやって負担を減らして、実りあるコメントをもらおうかと考えると、センターのある教官の言葉を思い出しました。「読んでつまづいたところにチェックを入れるだけでいい」。対処方法は著者が考えるというやり方。良い方法かもしれない。
ジョグ8㌔
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